09


きっぱりと耳に届いた意思の籠った声に、大和はどこか安堵した様子で表情を和らげ、トワも誰にも気付かれぬよう僅かに口角を引き上げた。

「お前にしちゃ上出来な答えだ。もし口答えしたら左腕も折ってやろうと思ったのによ」

そう言いながらトワは座っていた椅子から立ち上がると、俺と大和に間仕切りの外に出るよう促す。

間仕切りから外へ出れば、そこで待つと言った猛と日向の姿が見当たらない。不思議に思い倉庫内に視線を巡らせれば猛は黒革のソファに身を預け、まるで我が物顔で寛いでいた。

「アイツら…」

そして日向はというと作り付けの棚に並べられていた酒を何やら勝手に吟味していた。

気配で出てきた事に気付いたのか棚の前にいた日向が振り向く。

「話は終わった?」

「まだだ」

訊いてきた日向に大和が冷たい声で返し、トワは猛が居るのも構わずソファに足を進める。
硝子製のテーブルを囲むようにソファは一人掛けのソファが二つと四人掛けのソファが二つ向かい合う様に設置されており、主に作戦を立てる時や談話する時、寛ぎたい時に使われるぐらいだ。

トワは四人掛けのソファに座る猛を無視して一人掛けのソファに腰を下ろすと、大和と俺にも座るよう言ってくる。

大和は当然の様にトワの対面にある一人掛けのソファに座り、俺は…。

「お前は氷堂の正面にでも座れ。今の総長はお前だ」

四人掛けのソファに座るようトワに言われて俺も席に着く。
ちらりと視線を投げて見た猛は興味も無いのかただ静かに成り行きを見守っているようだが、逆に俺にはその姿が不気味に映って見えた。

「まどろっこしいのは抜きにして話すぞ。マキの怪我の程度は見てもらった通り軽くはねぇ。だがそれ以上に厄介なのがコレだ」

そう言ってトワはポケットから白い粉末の入った透明なビニール袋をだしてテーブルの上に置く。

「これは…」

「…まさか、薬か?」

俺と大和はその正体に気付き、問うような眼差しをトワに向けた。

「当たりだ。マキはこれを鴉の傘下、主に武闘派連中にバラ撒いたらしい。自分の言うことを聞けば幾らでもくれてやるって言ってな」

「マキが現れてから寝返ったチームがいくつかある。奴等はまんまとマキに使われたわけか」

すっと大和の纏っていた空気がひやりとした鋭さを帯びる。

「それは炎竜もか?」

「確かに、拓磨を襲った連中も武闘派だったな。トワさん、それもマキの手によるものなんだな」

俺の言葉を確認するように大和が重ねてトワに訊く。
するとトワは不快げに顔をしかめて吐き捨てるように言った。

「マキは手懐けた連中に炎竜闇討ちを命じて、それを後藤の仕業に見せかけたんだ。マキに騙されたとは知らねぇ炎竜はまんまと罠に嵌まって動かされたのさ。はっ、頭の程度が知れるぜ」

「それで、わざわざそんな話をする為だけにここに座らせたわけじゃないだろ」

このままだと話が横道に反れかねないと思い、俺は口を挟む。

「フン…、ようやく総長らしくなってきたじゃねぇか。餓鬼が」

褒め言葉なのか良く分からない台詞を黙殺し、トワの続き待つ。

「マキ自身薬をやってる節がある。感情の浮き沈みが激しいのは薬のせいかもしれねぇ」

「薬の入手ルートは?」

厳しい眼差しで口を挟んだ大和にトワは首を横に振る。

「まだだ。これから割り出す。お前等は手ぇ出すな」

「分かった」

「それから後藤。マキは俺の手で警察に引き渡す。良いな?」

「あぁ」

確固たる意思を持って向けられた眼差しに、志郎を想っていたのは自分だけじゃないと知る。
トワもまた仲間として、友人として志郎を思っていた。

「それとチームのことだが…、これはもう俺が口を挟むことじゃねぇな。どうするかはお前等二人で決めろ」

話を投げられて俺は大和に視線を移す。

「マキに付いたチームは鴉が粛清する。抵抗するようなら強制解散も壊滅も俺は辞さない。それで良いな大和」

「構わないだろ。それと同時に薬の回収も進めさせる。これぐらいは良いだろトワさん」

この辺りで一度鴉の力を見せつける必要があった。今後また同じ事を繰り返さない為にも、力の差を示しておかねばならない。
思うことは同じなのか大和から反対の声は上がらず、今後のチーム運営について話を詰めていく。

その様子を猛はゆるりと口端を吊り上げ、満足そうに眺めていた。

「愉しそうですね会長」

猛の座ったソファの背後に音もなく移動してきた日向がひっそりと落とした言葉に、猛は声を出さずに喉の奥で笑う。

「俺が欲しいのはアレだ」

鋭く研ぎ澄まされた眼差し。初めて顔を合わせた時に見せたものと同質の、何者も寄せ付けない冷たく硬質な雰囲気。
それは生きていく中で自然と身に付いたものか。

先程の、防音のされていない間仕切りで仕切られただけの会話は猛の耳にも入っていた。








「チームの割り当ては、北方面で寝返ったチームには月牙と紅を組ませて当たらせる。東はFlyとBeeの合同チーム、数の少ない西はRootsにやらせる」

ルーツは主に鴉の情報部隊だが、腕も結構立つことで有名だ。
ここまでで異論はないと頷いた大和が、ふっとその身を取り巻く冷涼な空気にほんの僅か熱を加えて口を開いた。

「それでいくと俺達は南か」

「あぁ。鴉の実動部隊には南で暴れてもらう」

南方面には鴉傘下に名を連ねるチームが数多くある。
どれだけの数がマキについたか知らないが、明日から南側は騒がしくなるだろう。

俺は頭の中で地図を思い描き、塗り替えられるだろう勢力図に唇を歪めた。

「報酬は潰したチームが支配してたエリアだ。大和、片が付く頃までに上手く切り分けておいてくれ」

「分かった。分配は事が済んでからでいいな」

号令をかけるチームを決め、与える報酬も決まった。他にも細かい指示を出し、俺はダルさを覚えてふぅと小さく息を吐いてソファに体を凭れさせた。

視線で大丈夫かと問いかけてくる大和に頷き返せば、正面に座っていた猛がようやく動きを見せる。

「話はそれで終わりか」

確認するよう俺に向けられた眼差しに、俺が答える前に横からトワが口を挟んだ。

「待てよ。俺はまだ聞いてねぇぞ。アンタと後藤の関係」

投げられた言葉に猛は何と答えるのか。興味を引かれた俺は口を噤んだ。

猛にとって今の俺は何だ?

借金のカタか。
体の良い抱き人形か。
面倒事を運んできた疫病神か。
何にしろ、俺は猛の荷物でしかない。

自分で出した結論に自嘲するように笑えば、俺を見据えたまま猛はトワに言葉を返した。

「何でも自分の物差しで測ろうとするな」

それはトワに向けて言われた言葉のはずなのに、まるで俺の心の中を見透かしたような台詞で俺は一人息を呑んだ。
そしてそのまま視線はゆっくりとトワに移され、猛はクッと低い声を漏らすと続けて言った。

「どんな関係か知ったところでお前に何が出来る?俺から拓磨を引き離して一生守ってやるとでも言うつもりか?」

「そんなつもりはねぇ。ただ、志郎が叶えられなかった願いを叶えてやりてぇだけだ。後藤が幸せだと思える場所で、きちんとした生活を送らせる」

いつになく真剣な表情で言い切ったトワに猛は組んでいた足を解くと嘲笑するように口端を吊り上げた。

「話にならねぇな。お前が出来るのは良くて拓磨の住処を確保してやることだけだ」

「なっ…!んだとてめぇ…」

ゆったりと立ち上がった猛は怒鳴るトワをそれ以上相手にせず、俺を見下ろすと言う。

「帰るぞ拓磨」

それが当たり前の様に、俺が共に帰ることを疑わない口振りで猛は俺を促した。

「行くな後藤。お前がコイツに付いてく必要はねぇ」

しかし、俺が何かしらの反応を返す前にトワが厳しい声音で俺を制した。
険しい表情で猛を睨み付け、トワは俺に言う。

「もしコイツに脅されてんなら、俺が何とかしてやる。これだけの大物だ、逮捕するだけの罪状の一つや二つ直ぐに揃う」

トワの言葉に猛は不愉快だと微かに表情を動かしたもののそれだけだった。
ソファの後ろに立つ日向は一人、面白そうにこの展開を眺めていた。

トワに勝ち目はない。
知り合って未だ短い時しか猛とは過ごしていないが、俺にはそう感じられた。

「良く考えろ後藤。志郎がここにいたら絶対に引き留めるはずだ」

「行け、拓磨」

俺を説得しようと言葉を重ねるトワとは逆に、するりと入り込んで来た熱を溶かす冷えた声が張り詰めていた空気を容易く壊す。

「相沢、お前何言って…!」

非難する視線が向けられても、ジッと俺を見据える漆黒の双眸は揺らがない。

「トワさん、アンタの言ってる事も分かる。拓磨は幸せに成るべきだ。けど、何が幸せか選ぶのは拓磨自身だ」

幸せだと思える場所ってのはただ与えるだけのものじゃない。自分で選び、誰かと作るものだ。

「ほぅ…」

不快そうにしていた猛がその発言を耳にし興味深そうに瞳を細めて大和を見下ろす。それに気付いた大和の視線が猛へと流れた。

「だからと言ってそれが氷堂さんだとは限らないがな。現時点で俺がそう感じただけに過ぎない。なにより、最後に選ぶのは拓磨だ。例え氷堂さんであってもそれを邪魔することは許さねぇ」

「言うじゃねぇか」

俺を他所に進む話に、俺は自分がどうしたいのか改めて考えた。
これまで俺は自分で決めてきたつもりで、結局流されるままに流れてきてしまった様な気がする。
諦めて受け入れる。
…それが一番楽だった。

「志郎なら止めるはずだ」

俺の迷いを感じ取ってか、強い口調で言ってきたトワに少し考え、俺は緩く表情を崩すと首を横に振った。

「いや、志郎がここに居たらきっと止めたりしない」

「そんなワケねぇだろ!」

静かに口を開いた俺にトワは苛立ちを隠さず、大和と猛も話を切り上げ俺に視線を向けてくる。

「むしろ志郎は笑って俺を送り出したかもしれねぇ。相手が猛じゃなくても。現に志郎は…俺がいつ独り立ちしても良いように俺に色んな事を教えてくれてた」

悲しい思い出ほど記憶に鮮明に残る。けれどそれで優しい思い出が、温かな思い出が消えたわけじゃない。
志郎と共に過ごした六年を思い出し、まだ微かに痛む胸を抱いて、俺はそれでも温かな気持ちでその言葉を口にした。

「それに家族ってそういうものなんだろ?離れてもそこで縁が切れるわけじゃねぇ。嫌になったら帰って来ても良いって志郎なら笑って言うと思う」

「後藤…」

トワはそれ以上言葉にならない様子で声を詰まらせると瞼を伏せる。

「あぁ…、志郎さんなら言い兼ねないな」

声には出さず喉の奥で笑った大和は俺の言葉に頷いた。

「だから俺は…」

猛は…何も言わず俺を見下ろし、俺が行動に移すのを待っているようだった。

「まだ全部を信用したわけじゃねぇけど…猛と行く」

俺に差し出された手が嘘じゃないなら。
俺は今一度だけアンタを信じる。
自分すら信じられなくなった俺をアンタが信用させてくれるんだろ?

それとも、
差し出された手は見せかけだけのものか。
裏切ればもう俺がアンタを信じることはない。

緩慢な動作で立ち上がった俺に猛が右手を差し出してくる。

「行くぞ」

真っ直ぐに俺を見据えた瞳は光をも呑み込む深い漆黒。俺は三角斤で吊られていない左手を猛の手に重ねた。

「悪い、トワ。大和も…」

「お前が決めたことだ、謝るな。それと、志郎さんじゃねぇが、何かあったら何時でも帰って来い。鴉はもうお前のチームだ。居場所はそこだけじゃねぇ」

倉庫の外まで見送りに出てくれた大和に背を向け、俺は猛と共に車に乗り込む。
トワは俺の決めた道に最後まで何も言うこと無く、マキを寝かせていた仕切りの中へ姿を消した。








車のエンジン音が遠ざかり、ジャリッと近くで止まった足音にトワは振り返らず静かに口を開く。

「後藤は行ったか」

「あぁ…。トワさん、もうアンタも自分を責めるのは止めろ」

間仕切りの中に置かれた椅子に座り、眠るマキの姿をジッと見つめているトワの背に大和はほんの少し瞼を伏せ、続けて言う。

「志郎さんと拓磨を守りきれなかったのはアンタの責任じゃない。…あの日、トワさんは自分に出来ることを全てやった。今も最善を尽くしてるじゃねぇか」

「はっ、どうだかな。結局あの日俺は間に合わなかった。俺が出来たのは救急車を呼ぶことと、虫の息の志郎と後藤の最期のやり取りをただ馬鹿みてぇに眺めてる事だけだった」

後は到着した救急車に志郎を乗せるために後藤から志郎を引き離しただけ。

「後藤には色々偉そうなこと言ったが、本当は俺が言えた義理じゃねぇ。肝心な時に役に立たなかったのは俺も同じだ」

自身をも嘲笑う様にトワは笑った。

「それでも、その後暫くトワさんが拓磨を守ってきたのも事実だ。本人は知らなくとも、俺が見てきた」

間仕切りの横で立ち止まっていた足を動かし、大和は椅子に座るトワの傍らに立つ。

「拓磨はもう一歩踏み出し始めた。トワさんももう自分を許してやって良いんじゃないのか。志郎さんもいつまでも自分のせいで誰かが苦しむ姿を見ていたくはねぇだろ」

マキに向けていた目でちらりと大和を見上げたトワは、情けねぇなと小さく漏らした。

「これじゃどっちが年上か分からねぇ。餓鬼に諭される日が来るとは」

「餓鬼って、俺とトワさんは五歳しか違わないだろ」

「いや、五歳差は大きい。…たしか前に志郎が後藤のことでそうぼやいてたのを思い出したぜ」

クツクツと普段の調子を取り戻したトワに、大和は視線をベッドに移して話を変えた。

「マキは…どうなる?」

「証拠はここにあるし、検査すれば薬物反応も出るだろ。間違いなく薬の所持と使用で現行犯逮捕される」

その後はテレビのニュースなんかで良く見かけるように裁判にかけられて判決が下される。

「マキは初犯だからな。だいたい懲役1年6月で執行猶予3年ってところか。だが、マキの場合は薬をばら撒いてるし、調べれば他にも余罪が出てきそうだ」

「それ以上の刑になる可能性が高い、か」

「それだけのことをコイツはしたんだ」

きっぱりとそう告げたトワは志郎の友人でもあるが、マキの友人でもあった。
その複雑な心中を量ることは大和にも誰にも出来ない。

二人の間に沈黙が落ちる。

「………」

黙り込んだままマキを見つめるトワに、大和はこれ以上此処に留まるべきではないと判断して側から離れようと足を動かした。その時、トワが独り言のように呟いた声が耳に入った。

「これで良いんだ」

それは本心か。
自身に言い聞かせる為に口にした言葉か。

何にしろ返す言葉を大和は持ち合わせていない。トワも返事を返して欲しくて聞かせたわけではないだろう。

側を離れ、静かに間仕切りから出て行こうとした大和の背に、強い力の籠った声が投げられる。

「…相沢。後藤のこと頼んだぜ」

「言われなくてもそのつもりだ」

大和はその声に、冴え冴えと澄み渡った月夜の如く鋭く冷えた声音で頷き返した。



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